熊本市 DELTA WORKS のメンバーがお届けするCMS制作日記と日常の変なこと
10 3月
この2年くらい、出会い系のメールに悩まされている。ウェブ上にアドレスを記載しておくと、ロボット型のサーチシステムで勝手にアドレス盗まれてしまう。サーバー側でIPフィルタリングをかけて拒否している数が100件を越えた時点で、フィルタリングも諦めた。
こうなると、逆にその中に飛び込んでみよう、体験してみようという気になった。虎穴にいらずんば虎児を得ずである。
そのなかで起こった。様々なメールでのやり取りをそのまま転載する。
出会い系に登録すると何が起き、どうなるのか?男の欲望渦巻く世界とそれを巧みに利用する業者間で何が起きているのか?知りたい人はこれを読め!
わははははは、暇なわけじゃないぞ。
10 3月
さて、バイク事故によって半年以上の入院を余儀なくされた私は、一時退院して、そのとき付き合っていた彼女の家に転がり込んでいた。
そんなある日、コタツの中で寝返りを打った際、右足に違和感を覚えた。
「あれ?なんかグキッって音がしたんだけど・・俺の脚」
それに骨折したところが痛い。しかし、先生はもう大丈夫だからリハビリしろって言ったよなぁ・・・気のせいか?
病院まで結構距離があって、なかなか行けなくなった私は、松葉杖をつきながら自分でリハビリを始めていた。例えば松葉杖を使わず近くのコンビにまで歩いていくのだが・・・骨折したところが痛い。どちらかというと激痛だ。
しかし、この痛みに耐えれば直るのだと思い、激痛の中リハビリを続けた。その期間約1ヶ月。それはもう、昔のど根性ドラマ並みである。
そうして、実家に戻って地元の病院に見せにいった。
”これで、相当回復しているはずだ。だって、あの激痛に耐えながらも自分でリハビリしたんだもの”
そんな気分で診察の結果を聞きに行ったら、レントゲンを見ながら先生がこういった。
「あーーーこれまだ折れてるね。ほら、スパッと折れてるでしょ?軟骨だけで繋がってるよ」
「ガーン!」
見事・・・そう、見せられたレントゲン写真は見事に斜めに亀裂の入った私の右足・・完璧に折れている。そのまま私は、またもや石膏で固められ、ギブスをはめられた・・・・・。
つづく
注:足のレントゲンは合成して作りました。当時の写真なんかもってないもんね
9 3月
その日は新しい患者が入院してきた秋のある日だった。
彼とは、年齢が近い事もあり、すぐに打ち解けて院内の喫煙室でいっしょに世間話をする事になった。秋の日差しは思ったより強く、喫煙室の白いレースのカーテン越に、黒いソファーに縞模様を作っている。
そのソファーに腰掛けた彼は、ゆっくりとタバコをポケットから取り出し、ライターで火をつけた。逆光の中でタバコの煙が渦を巻いている。私のほうから尋ねた。
「あのう、見た所どこも悪くないようですが、内臓系の疾患ですか?」
「いや、偏頭痛がするんですよ」
「そうですか、頭痛ってきついですよね」
「もう2年近くに成るんで慣れたといえばなれたんですけど、やっぱり我慢できない時があって、今回も入院する事にしたんです。」
「えーでも、ここ救急病棟ですよね。でしたら脳神経外科とか行かれたほうがいいんじゃないんですか?」
「そうなんですが、昨日発作起こしてしまって、急だったので救急車呼んでもらったんですよ」
「あーそうなんですね」
そんな話をしながら2人してタバコをすっていたのだが、ふと見ると彼の肩がかすかに震えている。
「あれ?大丈夫ですか?なんか震えてませんか?」
「いや、大丈夫です。」
「顔色悪いですね。」
彼は「大丈夫、大丈夫。」と言いながら、だんだん、ソファーの上で肩を丸め膝を抱えだした。
その時、何か嫌な予感がしたのだ。
「あ、それじゃあ僕病室に帰ります。」
その頃私は、松葉杖だったが、その嫌な感覚から逃れたいという想いから、足早にその場から逃げ出した。
その直後だった。
「ヅアーーーーッ、アーーーーーーッ」
その彼が喫煙室で暴れだした。とにかく目に見えない何かと格闘しているような彼の動きは一種の非現実感を私に与えた。”ここは救急病院である。その、病棟の喫煙室で男が暴れている”一瞬、事の事態が良く理解できなかったが、慌てて看護婦を呼び行った。
看護婦が慌てて喫煙室に飛び込んだが、彼は止まらない。声にならない声で、叫び続けている。時折聞こえる単語は「頭が!」「痛い!」「割れる」・・・・。
やっとの事で3人がかりで押さえつけられた彼は、そのままズルズルと病室まで連れてこられた。病室で叫んでいる。
「助けてください。割れそうだ。頭が、割れそうだ。」
押さえつけていた一人の看護婦が「私先生呼んできます!」といって走り去った。彼は床の上で二人の看護婦から押さえつけられ、口の中にタオルをねじ込まれようとしてた。しかし、女性の2人の力では、押さえつけられない。
そこで、同室の患者さんたちも手伝って彼を押さえつける事にした。彼らも病人である。しかし、そんな事は言っていられない。そのうち一人の患者さんが彼の上着からあるものを見つけ出した。
「おい、これポン器だよ!、やっぱこいつシャブ中だぜ!!」
ポン器とはいわゆる覚せい剤の一種である塩酸メタンフェタミン(通称ヒロポン)を打つための注射道具の事である。
「やべえ!こりゃまずいぞ、先生まだかよ!!!」
彼は数人の患者と看護婦に押さえつけられながらも、時々すごい力で彼らを振り払おうとしている。そこへやっと先生が到着した。先生は彼に馬乗りになると肩口に鎮静剤を注射した。しかし、覚せい剤中毒患者の彼には効き目がない。やっと常人の3倍の鎮静剤を打って、彼の様子は落ち着いた。
この間、やはり私は何も出来ないでベットに座っていた。点滴打ちながら彼を押さえつけていた患者もいたのに、私は、何も出来なかったのである。しかも、彼の様子がおかしいのを察しながらも、喫煙室から逃げたのだ。このことは、足が動かない自分にとって、けして不合理な事ではないと、納得も出来るのだが、ある種の後悔にも繋がった。
後日聞いた話だが、そのポン器を見つけた患者は、僕より前にその彼と話をしていたらしく、彼について次のようなことを言っていた。
「この前暴れて連れて行かれたアンちゃんいただろ、あいつは2年前に車で大事故にあって、脳に障害を負ったらしんだよ。んでまあ、ヒドイ頭痛に悩まされて、それからヒロポンに手を出したらしいんだぜ。あんたも薬だけには手を出すなよ」
何だか、今考えてもちょっとやるせない事件だった。
8 3月
今回はちょっと視点を変えて入院中に僕が収得した技を書いてみよう。
入院後、とにかく暇をもてあます時期がやってきた。何もやることがないのである。これには参った。そこで、何気なく見ていたテレビのCMにインスパイアされた。そのテレビは次のような事を云っていた。
「我が家にコンピューターがやってきた。ジャンケンポン。カセットポン。」
まあ、本当にそんな事言っていたかはよく覚えていないのだが、そのフレーズで購入を決めた。見舞金をかき集め、友人に頼んで電気屋から買ってきてもらった。確か\79,800だったような気がする。それがNECのPC-6001というコンピューターであり、自分で買ったはじめてのパーソナル・コンピューターだ。
当時としては珍しいグラフィックとPSG3和音が扱え、なおかつ9万円を切る低価格だった。
また、カートリッジROMを採用し、ホビーパソコンとして一気に普及することに。
これにははまった。とにかく時間はある、ひたすら内蔵されたBASICと格闘して、3日後には「じゃんけんゲーム」というのを作った。要は単純、ランダムにパソコンが出すじゃんけんと勝負して、10回のうち何回勝つかというだけ・・・・・しょぼい。
しかし、これが元で私のパソコン暦が始まるのだ。それ以後、PC-9801、MSXなどたくさんのPCを使いMACにはまり、とうとう学校でパソコンを教えるまでになってしまった。
ほんと、あの事故がなかったら、パソコンを買う事も遅れていただろうし、その後音楽をパソコンで作るなんて事もなかったかもしれない。いやあ、転んでもただでは起きないってのを地でいったなと、我ながら思うのであった。
しばらくして野球ゲームを作った(初めてグラフィック機能を駆使して自分では頑張ったつもり)んだが、自分自身が野球を知らないので、「二塁ゴロなのに三塁打」とか出ちゃって野球好きの友人から散々馬鹿にされた。やはり、知らないものは作らないほうがいいな。わははははは。
7 3月
足の骨折って移動が出来ないのが辛い。入院中も後半は松葉杖で移動できるようになったがしばらくは、全く動けなかったわけだ。先に浣腸されちゃった患者さんのことを書いたが、私自身も、手術が終わるまでは、動けないでベットで用を足していたいたわけで、用が済んで看護婦さんを呼ぶのが辛かった。
ある日の夜、すでに消灯時間を過ぎ、うつらうつらしていた時、それは起こった。
”ジリリリリーン、ジリリリリーン、ジリリリリーン”
何事かと飛び起きて周りを見回す。しかし、聞こえるのはけたたましい警報の音だけ、周りの患者さんも起きて騒ぎはじめた。
「なんだ?何が起こった?」
「火災警報だ!」
「家事か!」
「家事だぞ!」
いわゆるパニックである。動き回れる患者さんが病室から飛び出していく!そのときの自分は・・・・動けないのである。
「え、何?何?なにぃーーーー?」
パニックである。これは怖い。何しろ、けたたましいサイレンがなる中、半身しか起き上がれないのだ。
”ヤバイ、どうする?手だけで移動できるのか?どうやって階段を下る?エレベーターは無理だろうな、病院で焼死は嫌だな、ああ、まだお見舞いでもらった馬刺し食ってないぞ!”
色んな想いが駆け巡る。
結局、火災報知器は誤報だという事が、飛び出していった患者さんの話で分る。しかし警報は鳴り止まない。鳴り始めて20分位して、やっと鳴り止んだのだが、その間一度も院内放送もなかった。
おかしいだろー?ちゃんと放送で「今のは誤報です」ってアナウンスするのが普通だろ!!頼むよ本当!
その間、見かけた唯一の病院関係者は、なぜかハンマーを片手に走り去っていく院長の姿・・・・。
やっぱ、おかしいよーーーー。
7 3月
とび職の人って、やはり落下事故など危険と隣り合わせの仕事で、大変だなーと思うのですが、ある日両腕骨折で入院してきた人が居た。
まだ20代だと思うんですが、なれない入院生活で不自由そう。 何が不自由って、両手ともギブスさせられてつられた状態で日常を送るわけだから、一人じゃなにもできない。マイケルジャクソンの一人スリラー状態ですな。
そんなある日のことだった。 看護婦さんと本人との会話
「あなたお通じはあるの?」
「いや、実はないです」
「ないですって?いつから?」
「ええと、入院してからですね」
「ええっつ、全然ないの?」
「はい、まずいですかね?」
「だめじゃないの。そーゆーことはちゃんと言ってもらわないと」
「はあ」
「仕方ないわね。いまから、浣腸しましょう」
「えっ今からですか?い、嫌ですよ」
「だめよ、今からよ」
そういうと看護婦さん・・・この看護婦さんいわゆるこの病棟のドンみたいな人・・・・ナースステーションにとってかえして、浣腸器を持ってきた。
「えええ、いいですよ。自分で踏ん張りますから」
「でも1週間出てないんでしょう」
「いやだから、出します、出します。せめて自分でやらせてください」
”自分でやる”とは自分で浣腸するという意味なのだが、良く考えれば両手が動かないのに出来るはずがない。どうやら本人も相当動揺しているようだ。勿論ここは10人の大部屋である。動揺しないほうがおかしい。その様な本人の申し出は、ドンである看護婦の耳に届くはずもない。
「はーい。つべこべ言ってないでおとなしくしなさい」
「いや、今は勘弁してください」
「だめだめ。私は午後から休みなの」
そう言いながら、看護婦はパジャマを脱がし、さっさと準備して浣腸が始まった。
「あ、ああ、あああああああああ」
「何うめいてるのよ」
「いや、あ、うううっあ、ああああああああああ!」
「さっさと出しなさい」
「ええ、で、出ません、あ、ででで出ます。あ、ああ、出ます出ますで増すddさ;だいh:@fjej:じ9」
(後半は言葉にならなかったようだ) 看護婦はさっさと仕事を済ませ、去っていった。残された彼はすでに放心状態・・・・可愛そうだ。 勿論、看護婦さんもお仕事、本人の為にも糞詰まりはよくない。ただ、一言言わせていただきたいことがある。
昼飯の直前に大部屋で浣腸するのはやめてくれぇー
6 3月
先日、右の脳に障害を負ってしまった患者さんの話をしたが、或る日、左脳に障害を負った吉本さん(仮名)が入院してきた。左脳には、言語野があるので、右脳の障害とは違った症状が現れる。
実際には、この両方の患者さんが同じ時期に入院していた。私のベットの左側には右脳、正面には左脳という配置だ・・・。
吉本さんは当然言語つまり言葉が不自由。毎日、院長先生が回診の際に、質問をする。
「吉本さん。これ、なんですか?」
院長は左手にりんごを持っている。しばらく吉本さんは考えて、こう、答えた。
「ラジオ・・・」
「あー、これラジオですか?・・・ラジオじゃないですよ。もう一度聞きます。これなんですか?」
「えー・・・なずび・・・・」
「おしい!なすびじゃないですよ。食べるものですね。」
「あ・・・・・・・っわかりません。」
このような会話が、退院するまで、毎朝続いた。その横で左の患者さんからは
「隆弘、お前いつ来たんだ?」
「えっ?いや、僕は”隆弘”じゃありませんよ。隣のベットにいる浅川です」
「お前、隆弘じゃないのか?」
「はい、違います」
「じゃあ、何でここに居るんだ?」
という、攻撃が続くのだ。ちょっとこちらのほうが混乱してくる日常であった。
5 3月
さて、この入院生活はほぼ4ヶ月に渡るのだが、それだけ長くなると色んなことに遭遇する。というか、勉強になる色んな事が起きる。
例えば、人間の脳は右と左で、その処理機能が違うという事を体験できたりする。
或る日60歳代のオジサンが運び込まれてきた。その人は脳溢血で倒れたらしい。看護婦に聞いてみると、右脳に障害が起きていて、体も思うように動かない。入院直後は眠り続けていたが、徐々に元気を取り戻し、私にも話しかけてくるようになった。ただ、少し問題があった。おじさんは私に向かって
「隆弘、お前いつ来たんだ?」
「えっ?いや、僕は”隆弘”じゃありませんよ。隣のベットにいる浅川です」
「お前、隆弘じゃないのか?」
「はい、違います」
「じゃあ、何でここに居るんだ?」
混乱している。そーなのだ。右脳というのは、直観力とか、総合的な判断力などを司っているので、状況は認識できるが、正常な判断が出来ない。この、オジサンの混乱は、転院するまで続いた。
「隆弘、お茶飲ませてくれ」
「あ、あの僕は”隆弘”じゃないですけど、お茶ですね。注いであげますね。」
「お前、隆弘じゃないのか?」
「はい、違います」
「じゃあ、何でここに居るんだ?」
このような会話が延々と続いたりする。或る日、またオジサンに話しかけられた
「隆弘、小便がしたい」
「あ、あの僕は”隆弘”じゃないですけど、小便ですね。今看護婦呼びますね。」
「お前、隆弘じゃないのか?」
「はい、違います」
「じゃあ、何でここに居るんだ?」
まあ、これで、通常は看護婦が来て処置してくれるわけなのだが、その時は違った。いつまで経っても看護婦が来ない。どうやらちょうど交代時間でたまたまナースステーションが空だったようだ・・・・・・・・・・って、許されることではないな。
「隆弘、小便がしたい」
「あ、あの僕は”隆弘”じゃないですけど、小便ですね。看護婦読んだのですが来ないですね。」
「お前、隆弘じゃないのか?」
「はい、違います・・・いや、僕隆弘です。」
なぜ?僕が「自分は隆弘だ」と答えたかって?それは、このまま隣のベットでお漏らしをされても困るなと思ったからだ。そこで私は、不自由な足をベットから下ろして、オジサンの尿瓶を手に持ち、オジサンのパンツを下ろした。
その時、触れたオジサンのフニャチンの感触を今でも鮮明に思い出すことが出来る。後にも先にも他人のチンチンを握って尿瓶におしっこさせたのは、このときだけである。いやあ、介護とかやってる方々は尊敬に値しますよ。
4 3月
手術を受けてからの数日は痛みのため、迷わず痛み止めを飲んだ私だったが、救急病院であるその病院の大部屋では様々ことが起きた。
或る日の朝、メガネの禿げおじさんが運び込まれてきた。どうやら酒飲み過ぎてぶっ倒れたらしい。夕方には普通に戻ってなにやら話をしていたが、どうも話の要領を得ない。何を言っているのか良く分らないという状態だ。
「こいつはヤバイ」
とまあ、その時は感じたが、感じただけでは何もいえないので、消灯時間になりベットに入った。うつらうつらしていたその時だ。そのおじさんのベットのほうから声が聞こえた。
「後ろにぃ!そこか?!そこだな!」
びっくりして、おじさんのほうを向くと、おじさんがベットの上に立ち上がり何かを掴んだのが見えた。「え?、なんじゃ?」と思った瞬間。手に持った何か(湯のみだと後で分った)を突然投げつけてきた!おじさんは続けて、
「そこだな。ほらそこだ。その陰に!そこに居るんですよ!!」
あ、幻覚だ・・・・おじさんは幻覚を見ている。そーなのだ。おじさんは所謂、アルコール依存症。平たく言えばアル中・・・あわててナースコールをした。やってきた看護婦に対して、
「すみません。女優さん。女優さんが居るとも知らず、いや、あそこの陰に居たんですよ。黒い影が・・・・」
「何も居ませんよ。何言ってるの?静かにしなさい!」
その場を収めようとする看護婦の言うことをおじさんは全く聞こうともしない。
「だから、危ないんですよ。このままじゃ皆喰われますよ!」
私は、「な、何に食われるんだぁああああ!」と思ったが、看護婦さんはその事を聞いてはくれなかったし、やがて、しゃべり続けるおじさんの家族という人たちが駆けつけ、おじさんを引き取っていった。アル中にはなりたくねーなーと、思いながら私は寝る事にした。
3 3月
さて、骨折したのは右足のスネの部分だったが、所謂複雑骨折。手術を受ける事になった。
この手術というのがしゃれてる。
通常はボルトやプレートを入れて固定するわけだが、そこでは最新の手術を行うという話になった。 そのやり方であるが、プレートやボルトは使用しない。使用せずどうやって固定するかだ。 それは、足の3箇所、つまりひざの下と、足首の上、骨折したちょっと上、この三箇所に鋼線を通す。その鋼線をギブスと共に固定して骨が繋がるのを待つというやり方だ。
この治療方法を説明してくれたのは若い外科医。「最新の治療法」という台詞にはなんとなく惹かれる響きもあり、面白そうなので快く了承した。
しかし、その外科医、何だかとても若い。若さというものにはハツラツとした良さもあるが、治療という基本スタンスに立ち返ってみると一抹の不安もある。しかしながら「まあ、大丈夫だろう」と、たかをくくっていたのが、後半の悲劇というか、これ以降私を10年近く苦しめる、ある結果へと導く事になるのだ。
手術を受けたあとで聞いた話であるが、この病院は救急病院であるにも関わらず、専門の外科医というのがいない。で、私を担当したのは九州大学の医学部のインターンであった。
手術の日、両親に見送られながら、手術室に運び込まれた私は、どんな、手術なのか不安を抱きつつも、割と悠然と構えていた。 「なああに、骨折の手術くらいなんて事ないだろう。内臓と違って、腹割られるわけじゃないしな」 それがその時の想いだった。
軽い全身麻酔のあと局部麻酔がかけられ手術が始まった。勿論、手術中は意識もはっきりしている。さて、骨の3箇所に穴を開けるだけ。電動ドリルで開けるんだったら一瞬だな。
その時、激痛が走った。
「どがーーーーー。痛いです。」
「あ、ごめんごめん。局部麻酔の利きが悪かった悪かったみたいね。看護婦、もう少し麻酔打って」
さらに局部に麻酔が打たれた。先生が
「じゃあ、行くよ」
「はい、おりゃー、まだ痛いです」
「だいじょぶだいじょぶ。すぐ終わるから」
激痛はまったく収まらない。それなのに、骨を削る感じがどんどん続く。ゴリゴリゴリゴリ・・ゴリゴリゴリ。
「おぎゃあ、どりゃー、おぎいいいいいいいいいぃ」
痛い。痛いし、なんか変だ。電動ドリルの音がしない・・・・・静か過ぎる。「ゴリゴリ」しか感じられない。そこで足元を見て状況が理解できた。
手回しドリルだ! 手回しドリルを持った医者が私の足を看護婦に押さえつけさせて、馬乗りになっている。そーして彼は言った。
「君は若いから骨が、か、硬いねーぇ!!」
「どひゃあーーーーー。うりゃああああああああ。」
何だか急に恐ろしくなってきた。恐ろしいのはいいとして、とにかく痛い。でも、痛いとはいわなかかった。やはり痛みを忘れるには叫ぶしかない!そう思った私は叫び続けた。
「あぎゃーーーー、ぐううううううううっく。いだだだだだだだだ。」
そのうち普通に叫ぶのに飽きてきた。
「どりゃーーーー、ど、どどどど、れみふぁそらしどー!いでででででで、電気あんまー!!」
笑っている。看護婦と医者が笑っている。私は心の中でこう思った。 「うけた。ラッキー!」 こうして、数時間をかけて3つの穴が開き、それぞれに鋼線が差し込まれ手術は完了したのであった。とにかく、疲れた。なぜ疲れたか?って。勿論叫びつかれた手術であった。
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