熊本市 DELTA WORKS のメンバーがお届けするCMS制作日記と日常の変なこと
11 2月
そのバガから告げられた予言とは
「お前に特別なラスタマンの秘密を伝えよう、いいか、今から1ヵ月以内にジャマイカに来るのだ。これはジャー(神)のセットした流れなのだ。逆らってはいけない。わしはお前を家族のひとりとして迎えよう。そして、わしの知ることは全てお前に教えよう。必ず来るのだ。いや、来なければならない。」
その後KEITAは、その予言のとおりジャマイカに渡り、ジャマイカにてラスタの生活をはじめる。詳しくは彼の書いた「シンクロ・バイブス」という本に出ている。ジャマイカでの生活は、我々の想像を超えた様々なことが起きるのだが、詳細は省かせていただく。(だって、長いんだもん)
http://www.fukkan.com/fk/VoteDetail?no=33113
今は廃刊になったシンクロ・バイブスだが、上記で復刊の動きが出ている。
最終的にどうなったかというと彼は、人造人間になって帰国するのだ。本人の言葉を借りれば、「ジャマイカの生活で、体質が変化しリンパ系の働きが活性化して、原始人の様な体になった」ということだ。うーん。分かりにくいな。つまり、視覚、嗅覚、味覚等の五感が鋭くなり、それまで感じられなかったいろんなものが感じられるようになったという事。
そのため、東京に戻ってきてまず感じたのは、空気の汚染「東京の空気臭いんだよ」との事、「水も最悪」との事、「こりゃあ東京には住めない」というのが最終的な彼の結論だった。
そこで、天草で神官をしていたおじいさんの住んでいた家が空き家で天草にあるのを思い出し、家族そろって越してきたのだ。
11 2月
もうかれこれ15年来の友人のKEITAについて書きましょう。
彼と会ったのは、今はなきカルカッタというカレー屋さんの2階で彼がやったライブを見たのが最初だった。そのライブは民族楽器を彼が一人で演奏するというもので、いつ曲が始ったのか終わったのかも定かではないくらいのゆるいライブだった。
あまりにゆるくて眠りそうになったが、その当時は寝てはいけないと思い、一生懸命目を開けていた。ライブ終了後色々話してみるととても面白い。
彼は日本人としては初めてジャマイカのオリジナルラスタマンと親交を深め、ラスタの精神を布教するためにラスタマンになった人だったのだ。
さて、ここで、ラスタについて少しだけ説明しておこう。
簡単に述べるとラスタマン(ラスタファリアンとも呼ばれる・・レゲーのオジサンとはちょとちがう)とはジャマイカで起こったラスタファリズムという思想活動というか宗教に近い自然主義的な運動を行う者で、西洋の物質至上主義的な側面をバビロンシステム(砂上の楼閣)と呼び、自然への回帰を唱える戦士なのだ。その中でも、ボブ・マーレーは代表的なミュージシャンとして有名である。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%AA%E3%82%BA%E3%83%A0
詳しくは上記ウィキペディアをご覧ください。
元々彼は東京出身で、普通の仕事をしていた。しかし、運命的な出会いによってラスタの世界に入っていく。
当時、広告関連の仕事をしていた彼の元に第1回目のレゲーサンスプラッシュにやってくるレゲー・ミュージシャンの身元引受人をしてくれとの話が来た。そこで、彼はミュージシャンの世話をすることになった。
そのミュージシャンの一人オーガスタ・パブロとともにやってきた呪術師というかグルというかお抱え薬草医師のバガとの出会いによって彼は思っても見ない方向へと導かれ始めるのだ・・・・。
ということで、なんか映画の予告みたいになってきたな。続きはまた明日。
6 2月
誰かに期待することは簡単だが、誰かを信用することは難しい。
人との関係性において、信用するという行為は重要だ。「信用」を辞書で繰ると、「確かなものと信じて受け入れること」(Yahoo辞書)と書いてある。
それに対して「期待」とは、「あることが実現するだろうと望みをかけて待ち受けること。当てにして心待ちにすること。」(Yahoo辞書)となっている。
これは似ているようでぜんぜん違う。 片や「信用」とは自立的な行為であり、自己の責任においてその結果を受け入れる事が前提となり、片や、依存的であり、他者の行為で自分の利益を心待ちにする行為となる。
違うなぁ。意味がぜんぜん違う。従って、 「私は君のことを信用してるから、仕事で業績上げることを期待してます。」というような使い方は矛盾を含んでいる。
我々は弱い生き物で、信用したつもりでも、相手に期待を持ち、その心根が思わず言葉に現れる。気をつけないといけないな。 「信用」と「期待」はまったく別のものだ。
10 12月
さて、自分の道というのは自分で決めているものでしょうか?それとも環境による影響によって、何者かに決めさせられているのではないのか?
このへん難しいですな。
なぜなら、我々は相対的な存在であり、自立的に生きるといっても結局は、パラドックスの上にしか成り立たないわけね。
ええと、簡単に言うと、どんなに自立しようとしても、周りとの関係でしか自分を計る基準を持っていないということね。もし、世界に自分しかいないとすれば、何が正しくて何が間違いか?そんなことわかんなくなるわけよね。
となると、自分の判断は、果たして本当に自分の判断なのか?って問題にぶち当たるわけよ。それらは結局、関係性の中での実に流動的で、不確実なものであるわけね。ま、物事の本質は流動的であると言うのも事実だけど。
流動的っちゅうか「振動」という感じもするね。存在するということは「振動」するって事でもあるからさ・・・だって、分子って大抵ブラウン運動してるしね。
べ、別に仕事に飽きてきて、思考の迷宮で遊んでるわけじゃないぞ。歯磨き体操のDVDオーサライズが終了して、見直していたら郵便番号間違ってて、もう一度作り直しなんで、投げやりに成っているわけでもないぞ・・・・・。うーーー。
13 11月
てなわけで、日本の神様、インドネシアの神様、チベットの神様、ヨーロッパの神様と、神様には種類があるわけですよね。なーんでかな?と思っていたらふと思いついた。
あ、そーか、神様とか真理とかそーゆーのは、基本的には同じものだよな。でも、それらの現れ方が人種や、地域で違うのって、結局、それを認識する我々人間のフィルター違うからだ。
何か、言葉に出来ない存在を我々が感じたとき、それを表現するためには、その受動者の感覚や、知識によってフィルタリングされて伝えられるわけよね。
だかーら、沢山神様の種類があるんだ。なーんだ、実は全部同じものが色んな角度で現れてるに過ぎないんだ。そーか、そーか。
とまあ、思った訳です。
ということは、マホメッドもキリストも仏陀も、みーんなお友達じゃん・・・(ひーーーー。ちょっと危険な発言)なのに、みんな喧嘩してるのは、やっぱりそれらのイメージに対する人間の読解力のなさが大きな原因のひとつなのかしらねぇ。
21 9月
またもやぼーっと「オーラの泉」でも見ていたら、続いてローカル番組の「ドーモ」でもスピリチュアル特集だった。その中でオーラソーマをやっている熊本の方が出ていたので、ウェブで探して自分でもやってみた。
結果は以下の通り。なを著作権は上記ウェブサイトにあります。
一本目 魂のボトル(あなたの本質を示します)
知的で、気品に満ちています。自己の深い部分を見つめることのできる人。シックスセンスに優れたあなたは、高次な存在とコミュニケーションを図れ るでしょう。内なる権威を宿し、自分を信頼しています。深い叡智と平和の心で、物事を冷静かつ的確に見極めることができます。力強い精神力と根本からの自 己信頼を持ったあなたは、明るくポジティブなエネルギーを周囲に与えるでしょう。一目置かれる存在として、自然と影響力を発揮します。
ボトルNo 097
ボトル名 大天使ウリエル
カラー ゴールド/ロイヤルブルー
二本目 チャレンジ&ギフトのボトル(あなたの過去と乗り越えるべき課題を示します)
心の内側に争いの芽を宿しています。かつて深い苦しみや痛みを経験し、それを乗り越えることができずにいるのかもしれません。強烈な感情を持て余 しています。常に内面は混沌とし、混乱しています。考え方と行動とのバランスが取れない状態。ひどく攻撃的になったり、もしくは卑屈になったりと、極端な 反応を取ってしまうことがあるかもしれません。自分をコントロールできず、心に平和を見出すことができずにいます。
ボトルNo 102
ボトル名 大天使サミエル
カラー ディープオリーヴ/ディープマジェンタ
三本目 「今ここ」のボトル(現在の状態と気づきを示します)
本来持つ、感受性やクリエイティビティに目覚めるとき。言葉ではない、感覚的な表現方法を通じて、自分の感性が開かれていくでしょう。絵、音楽な どの芸術を通じて、心が解放されるはず。また、コンピューター関連の取り組みも奏功。たとえば、ホームページを作成するなど、自由な表現が心の解放につな がるでしょう。直感力が開発され、創造的な能力で自分の世界を広げていきます。自由でのびのびとした感性で人生を謳歌できるでしょう。
ボトルNo 085
ボトル名 タイタニア
カラー ターコイズ/クリア
四本目 未来のボトル現在の状態からどう変わっていくか、未来の可能性を示します)
コミュニケーション能力が研ぎ澄まされます。人生に意義や価値を見出すことのできたあなたは、内面に深い平和と愛を携えています。愛も、友情も、 快楽も、すべてを軽やかに手にすることができるでしょう。世界の美しさも、醜さも全部汲み取り、浄化し、生きる叡智とパワーに変えていきます。深い愛情と 豊かな表現力を兼ね備えたあなたは、ハートの真実に気づいています。人と人との潤滑油的な存在として、平和の架け橋となれるでしょう。
ボトルNo 103
ボトル名 大天使ハニエル
カラー オウパレセント・ペールブルー/ディープマジェンタ
18 9月
林田温泉での合宿はフィリピン人との共同生活だったが、ある日食堂の炊事場に行くと、何やら彼らが料理を作っていた。
何を作っているのかと覗いて見て驚いた。
まな板の上には豚の頭・・・しかも片手にトンカチを持っている。何をするかと思いきや、勢い良くそのトンカチを豚の頭に振り下ろした。
「グキ!」と鈍い音がしたかと思うと、見事に頭蓋陥没。振り返った彼の片手にはスプーンが握り締められ、そのスプーンの上に何やら白いトロトロしたものが・・・・。
私に気づいた彼はニヤっと笑い、そのスプーンを差し出してこう言った。
「喰うか?!」
「ノー・サンキュー」
勿論食生活の違いは理解しているが、いきなり「脳みそ食うか?」と言われると、ちょっとたじろぐ。続けて彼はこう言った。
「いやあ、日本は豚の頭安いね。国では高級品だぜ。」
そーゆー事情は分かるのだが、やはり食べる気には成れない。もう一度丁寧にお断りをした。
そういえば、彼らと初めて話した時に、ふざけて頭のおかしい振りをしたのだが、それ以来怖がってダンサーの女の子達が近づかなくなった。
彼らと、焼肉パーティーをしたときも、食事が終わって他の団員が一人一人とカップルになり暗闇に消えていくのを見ながら
「くそ、失敗した」
と、思ったものである。
そー言えば、昔、会社に新入社員が入って挨拶に来た時、韓国人のまねをして出鱈目な韓国語で挨拶したら面食らっていたな。あれは面白かった。
16 9月
昔のぬいぐるみショーのバイトで、沢山の事が起きたわけだが、一番心に残っているのは鹿児島の林田温泉に夏場の1ヶ月缶詰で出演した時のことだ。
出演者は、ホテルが用意した寮に入って生活する。我々ヒーロー軍団(ウルトラマン80ショー)の団体や、フィリピンのファイヤーダンスの連中などが狭い寮の中で集団生活を行う。
さすが、集団生活となるとヒーロー軍団も結束が固くなる。特にウルトラマンの再放送がある日のショーなど、ウルトラマン役の演者が気合を入れまくってショーに臨むこととなる。
しかし、この「気合」がたまに悪い方向へ向くこともあるのだ。
ある日のこと、空手の有段者であるウルトラマン役のAさんが、ウルトラマンの再放送を見ながらこう呟いた。
「あ、横蹴りはこっちの角度からやってんだ。よし!今日は蹴り中心で行くぞ!!」
いやあ、やられるこっち(この時、私はシーボーズの中に入っていた)勝手に「蹴り中心」と言われても困る。殺陣の順序もあるし、シーボーズはとても視界が悪い。手順が変わると対応できないのだ。
しかし、ヒーロー軍団の人間関係は、いわゆる体育会系の縦社会。新参者の自分が口答え出来ようはずもない。無言でその場を去って、出場に備える為に、控え室に戻った。
事件は、ショーの終演近くに起こった。
気合を入れたままのA君の横蹴りが見事、シーボーズの厚いぬいぐるみの皮膚を仲介に私のみぞおちに決まった!私(シーボーズ)はもんどりうって舞台から転げ落ち、客席の前にぶっ倒れた。
舞台下で、苦しみもがいていると、A君の声が聞こえた。
「おい、大丈夫か!、ほら手につかまれ!!」
そうである。倒さなければいけないはずのウルトラマン80が驚いて舞台下まで駆け下り、助け起こしにきたのだ。勿論、ショーは台無しである。
しかし、ウルトラマンがシーボーズを助け起こし、舞台に上げたところで拍手が沸いた・・・ぬいぐるみの中で何となく「段取りよりもハプニング」という言葉が浮かんでいた私であった。
4 9月
「麻ことのはなし―ヒーリングヘンプの詩と真実 」
中山 康直
http://
上記のような本を書いている中山さんとお会いした。少しお話も出来たが、リーディングも出来るらしく
「あ、チベット関係ですね。それに色んな両面を合わせ持っていますね。男性性と女性性、善と悪、それら両面をバランスとって実践しているかんじです。」
とのようなこと云われました。さらに
「この世にあなたは遊びに来てますね。「遊び」が重要です」
とも・・・「あははははは。遊びに来ているんだ。」何となく納得です。
26 8月
ぬいぐるみショーのバイトで遠方に行く場合は朝5時集合などという無茶なスケジュールを告げられることがある。
4時には起きて当時住んでいた福岡の香椎から自転車で博多駅近くの事務所に向かう。
5~6人のメンバーがワゴン車に乗り込んで6時頃には博多を出る。目的地に着くまでは暇なので大抵は寝ている。そんな車の中、ゴツンゴツンという音で目が覚めた。
はじめは何の音か分からない。しかし、気がつくと運転席からその音がしている。薄目を開けて運転席を見やると、運転しているスタッフが小声で呟きながら、シートのヘッドレストに頭を打ち付けている。
「ねむい・・」
ゴツンゴツン・・・
こちらは生きた心地がしない。
帰りの車でも大抵は寝ているが、たまに皆起きている場合がある。そんな時の楽しみは、仕事で使う怪人の頭を被っての運転だ。怪人さそり男とか、恐怖コブラ男などの仮面をつけて運転すると、対向車の反応が面白いのだ。
ぎょっとする人、指を刺して笑う人、泣きそうな顔で見つめる子供・・・そんな反応を見ながらみんなでゲラゲラ笑う・・・じ、実に退廃的だ。
良い子はまねしないように。
最近のコメント