熊本市 DELTA WORKS のメンバーがお届けするCMS制作日記と日常の変なこと
16 4月
元妻から聞いた話なんですが、先日阿蘇で行われたレインボウ2000という音楽イベントで叔父は儀式系のリーダーをやりました。でまあ、そこに突然、5人組の男女の一団が現れ、祝詞を上げ始め、「これで7番目の岩戸が開きました」といって去っていったそうです。
彼が言うには「その人たち人間の格好はしていたけど、この世の人たちではなかったもんねぇ」ということで・・・ま、そんんな訳で、それらが意味するところは「今日本を中心としたパラダイムシフトが始まった」ということらしいです。
だとすると、どんな未来が我々の行く手に広がっているんでしょうかね?
それらの出現に立ちえあることが出来ればいいなあ。
どちらにしても現在の日本の在り方には、歪が出ているわけで、戦後の混乱期から日本人としてのアイデンティティーを喪失したままで、このまま変わらずにいけるはずもないと思うなあ。
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上記の
特別企画
UA SOUNDS FROM THE WOODS
対談|UA×正木高志
というのが元妻の叔父です。
PS.ここからは今日の雑記です
これら意識の変容をパラダイムシフトと捕らえると、叔父の予感はこの時期すでに働いていたわけですね。それらが本当に進行しているのか?確証があるわけでもないのですが、最近、私自身やその周りの人に何らかの兆しが現れているというのは、実感できています。
ちなみに、私自身はリアリストでして、普段からスピリチュアルな事を考えているわけではありません。現在シリーズとしてこれを書いていますので、多少偏った捕らえられ方をするかもしれないと危惧もしていますが、実際は普通の人間です。
ただ、身の回りに起きる色んな出来事に対して、「常識」のみの枠内で考えるのは性に合いません。すべての科学が万能な世の中でもないだろうというのが、基本的スタンスです。
14 4月
僕の知り合いで整体をやっている女性がいる。今回は彼女からの話。
昔(15年前)、体を壊していた事があって、その時行っていた健康道場ってのがある。それは自宅のすぐそばにあるのだが、いろんな東洋治療を試し てそこが一番良かった。でまあ、そこがある日全く違う治療法として整体をはじめた。これがまた面白い。普通の整体とは全く一線を画している。
で、まあ、確かにすごく利く。
それをその知り合いの女性にも教えてあげたら、治療法に感動して仕事を辞め、創始者の元に弟子入りしてしまった。それだけでもすごい話なんだけど、その彼女から別の友達を通して聞いた話です。
現在彼女は、創始者の千葉の自宅に下宿している(というか創始者は全国を飛びまわっているので、そこには居ない)
ある日、自宅に戻ると、その先生のカバンが部屋においてあった。そこで、先生が来ていると慌てた彼女は、先生を探したが見つからない。電話をかけてみると単にカバンを忘れて出かけたということ。その電話での話し。
「先生どうして急にこちらにいらっしゃったんですか?」
「いや、自宅の箱に呼ばれたんだよ」
「えっつ、箱?」
「うん、箱だよ」
「どんな箱ですか」
「いやあ、その箱見つけたのでこっちに持って帰ったんだけど、中にはスプーンが入っていた。まだ、私にも呼ばれた意味は分らないんだけどね」
さらに後日、先生が
「今度は秋葉原のバッテリーが私を呼んでる」
と言い出した。これってどーゆーことよ・・・で、先生は秋葉原に出かけていって、これのようだというバッテリーを買って帰った・・・・そしてその二つの箱型の物体を見ながら先生は考えていた。
「そうか!比率だ!」
その2つの箱における共通点は縦横高さの比率が同じなのだ。
「これで治療用のベットを作るんだ!」
そうなのだ。その比率によって治療の効率が相当アップするらしい。実際にその比率でのベットを作ったら、治療効果が目に見えてアップしているとのこと。いやあ、すごいよねー。
このようなこと書くと訝しがる人も居ると思うんだけど。僕自身体を直している体験があるので、一概に否定はできない。人知の及ばないところで色んな力が働くことは良くあると思うのね。
9 4月
予言されちゃった
今日は、午後から非常勤で勤めている訓練校・・・ちゅうかヒューマンアカデミーの講師会議に参加。友人の講師が寝過ごして遅刻して入室した途端、そのまま最優秀講師で表彰されるのを横目で眺めながら、眠気と戦いつつ、まじめに会議を聞いた。
そのあと、友人たちと草間さんの展覧会を現代美術館に見に行き。その圧倒的な存在感ちゅーか、いってしまっている感性に感動。
一端元妻のところに寄って、話していたらなんや、スピリチュアルな方向に話が弾む。でまあ、原子核と電子の話などして、素粒子論の簡単な説明などしつつキーワードは「場」だぁー、などとと適当なことを言いつつ、友達のところにシステム再構築したiBookを届けに行く。
でまあ、ここでも又、面白いことが起こった。その席に同席していたジャズボーカリストの女性と話していたら(タスマニア人だっけ)日本の能が好き だと言い出したので、無茶苦茶な「能」の真似を披露。そしたらなんと大受け。自分のステージで15分やるからやってくれと、訳の分らない事を言い出す始 末。
ま、そこまではジョークですんでいたわけだが、途中から家族の話になり、彼女が言った「ちょっと手を触らせてくれる」「いいですよ」そうしたら彼女が、私のプライベートについて次々としゃべりだした。
いやあ、英語だったのでディティールは分からなかったが、その殆どがドンピシャで、おどいたなぁ。
ほんと、面白かったな。彼女のサジェスチョンと、ちょうど同じ事を考えていたので、自分の考えを後押しされた感じ。物事には偶然はないので、これもまた必然のなせる技かな。ありがたやありがたや。
ソーユーことが起きる僕ってラッキイーと思った夜でした。
6 4月
透視能力
そういえば、昔、透視された事がある。
すでに15年以上前の話なのだが、その当時付き合っていた彼女がイギリスに留学していた。ある日、その彼女から国際電話がかかった。
「昨日、銀行行ったよね」
「えっ?うん。行ったよ。」
「それから友達の家に遊びにいって、○○で、一緒にご飯食べたよね。」
「うん。そうだけど、えっ?なんで?知ってるの?」
「うん。なんか見えたのよ。」
「見えたんだ。」
「そう、ちょうどあなたの2メーターくらい上から見えたのでづっとついて行った。」
「へー。すごいね。」
とまあ、こーゆー調子だ。その時は、「不思議だなー」とは思ったものの、「そんな事もあるんだろうなー」位しか感じなかったわけだが、しばらくしてこう思った。
「げげ、という事は浮気とか出来ないジャン!」
いやああ、それはそれで、なんかキビシーなーと思ったのであった。
5 4月
別にスピリチュアルな体験のきっかけではない。音楽を始めたきっかけを書く。
しかしこのことは、私にとって大きな精神的ショックと転機であったと言えるだろう。
私自身は音楽は聴くものと、ずーっと思っていた。ところが突然作り始めるのだ。私が意識して音楽を作り始めたのは大学を卒業して、自宅で怪我の療養しながら写真屋をやっていた24~5歳の時だった。
その時、高校時代から付き合っていた彼女が居た。すでに8年以上の付き合いで、結婚するかもしれないことは周知の事実。それがある事件で破綻する。その事件のことを私はイメージ・ダメージと呼んでいる。
簡単に書けば浮気されたのだ。それで、崩壊したした私は「何か自分を取り戻す行為をしなきゃ」って思って音楽という表現活動を始めるのだ。
ここに、イメージ・ダメージという曲が登録されていて聞くことが出来る。詳細は音楽で確認してくれたまえ。
このときの感想は
「あ、僕は精神としては死んでいる。死んでいるはずなのに、死なない。ということは{生き続ける}という仕掛けがあるはずだ」ということだ。
つまり、精神的に死んだと感じても死なないわが身は、私が生きているのではなく。生かされている、または、生きるというプログラムの元に私は存在しているという事実だ。
これは、ある意味大きな収穫だった。
1 4月
ちょっと、観念的な話で面白くなくてごめん。
さて、先に書いた心理学から精神世界への傾倒とともに、ニューエイジ・サイエンスに目覚める。
フリチョフ・カプラ、ライアル・ワトソン、アサー・ケストラー、J.E.ラブロックなどが今の私の基本的な思想を形作っているといっても過言ではない。
これらの思想・哲学・宗教・科学を網羅した考え方には今でも深く共鳴している。
全体と部分、ミクロとコスモス、それらの織り成す相似形は、すべての物事を判断するときの基本事象だ。インアンドヤンの思想にしろすべては相対的に存在し、そこに絶対的な存在はない。
例えば、素粒子の世界は実に奇怪であり、通常の概念が通用しない。電子など、質量を確定しようとすると位置が確定できなくなり、位置を確定すると質量が無限大になる・・・おかしいだろ?
ただこれらの、概念を物質としての通常の概念で捕らえるところに基本的な無理があり、私自身は「場」としてのエネルギーを前提に考えることで状況を推測することにしている。
ああ、だらだら書いてしまったが、感覚としてこの時期大きな変化があったのは確かだ。それまでの物質的目に見えるものだけを認識していたのとは違い、目に見えない「何か」の存在を認識し始めていたといえるだろう。
31 3月
少しづつ、何かの連鎖が始まり、精神的な闇に囚われてしまった先輩。後に残されたのは、 「お前のせいだ」 という言葉。 さすがに、少しだけ自分を省みるきっかけになった。
なぜ先輩は、私のせいで入院してしまったのか?私の何がいけなかったのか?人間というものはその様な事で変わってしまうものなのか? そこから私は心理学の本や精神世界の本を読み始めた。 フロイトに始まってユングに落ち着き、さらにはその頃出ていた「The Meditation」という雑誌や、仏教、密教などの書籍に傾倒していく。
そのなかで、高橋佳子の書いた「真・創世記」という本には随分共感を覚えた。 この、高橋佳子とは稀代の霊能力者として名高い高橋信次の娘で現在GLAという教団を指揮している。 高橋信次 http://
「人間は霊的な存在で、それぞれの魂は魂としての研鑽を重ねるために自らその環境を選んで生まれてきている」
今でもこの考えには基本的に納得できるものがあるが、流石に教団に入ろうとまでは考えなかった。 そういえば、幸福の科学のエル・カンターレである大川隆法総裁は、GLAから高橋信次の言葉をそのまま流用したとして訴えられていたがどうなったのかな?
確かに「高橋信次かく語りき」みたいな本出してましたな・・・っと、このへん突っ込むとちょっとマズイかなぁ?
ちなみに私は現在無宗教だ。 話がずれたので戻すが、とにかく、この時期は、その先輩の気持ちを理解したくて、本を読み、参考にしていた。心理学だけでなく一気に精神世界へぶっ飛ぶのが、私の癖でもあるが・・・・。 (雑誌「ムー」とかには行かなかった)
最終的な結論としては、
「あの先輩が、迷路に入ったのは、私だけでなく、周囲の環境に過剰適応しようとして、オーバーフローしたのがきっかけで、基本的には本人の気質の問題かな」
などという。実に現実的なものだった。
27 3月
話が前後して申し訳ないが、中学生のとき「催眠」に興味を持った。
見よう見まねで、友達に催眠をかけ、その効果に驚いた。実際、一定の手順を踏めば誰でも催眠をかける事が出来る。
その中で一人、とても催眠誘導がし易くてどちらかと言うと自ら催眠状態に落ちるタイプの女の子が居た。
そのこに催眠をかけるときは、殆どステップが必要ない。座って目を閉じてもらうと、自然と入っていく。こちらは暗示をかけて筋肉が硬くなったり、味覚が変わるのが面白くて、興味本位に遊んでいた。
しかし、そのこと2人だけで理科準備室の隅で催眠をかけていた時、異性であることを意識してしまった。
「そうか・・・、これって、僕を好きになるとか暗示かけても効くかもな・・それってどういうことなんだろう?暗示で人って行動をコントロールできるんだ」
そう考えたらドキドキしてきた。
「人を支配するってこういうことなんだ。今、彼女は僕の思い通りに動く人形なんだ」
相当に歪んだ感情だ。
さすがに、そのドキドキ以上の事をすることは出来なかったが、その経験によって、人の心が自己暗示や無意識によって大きく影響を受けている事を感じた。
それから、ずっと後のこと、すっかり催眠のことなど忘れていたが、またやってみる機会があった。
その時は、退行催眠を試みたのだが・・・。
詳細は書かないが、このとき感じたのは「他人の心の中に勝手に入り込んではいけない」ということだった。それ以来、催眠は一切やっていない。
27 3月
結局、小学校の時に感じた感覚はすぐに忘れ、日常の生活に没入していくわけだが、高校生の時にある事件が起こった。
これはスピリチュアルな体験というわけではないのが、精神的な事を考えるきっかけに成った事件だ。
高校生の時、僕は放送部に所属していた。(実は小学校から大学までずっと放送部)その先輩が少しずつ変容していったのだ。
結論を先に書けば、先輩が精神分裂病になった。
その先輩は真面目なタイプで、一つ上の学年だったが、我々下級生の面倒見もよく、私も家に遊びに行ったり、彼が遊びに来たりが続いていた。
それが、少しずつ病気に犯されていく。最初は、言動の変化から始まった。温厚であるはずの彼から時々、他人を罵倒するような言葉が出始めた。
それと共に、行動もおかしくなって行き、ブツブツ云いながら部室の壁をこぶしで殴っていたり・・・。
ある日、部室へ行くと彼のノートが机の上に無造作においてあった。何気なく覗くとそこには、曲がった釘のような字で大きく言葉が書いてあった。
「アサカワ!お前のせいだ!」
ショックである。何を云いたいのか分からなかった。しかし、多かれ少なかれ彼に影響を与えた事は理解できる。確かに、真面目な彼に比べると、私はムチャクチャナ所があり、幾分カオス的な遊びが好きだった。
その数日後から、彼は学校に来なくなった。
26 3月
スピリチュアルなんて書くとあまり私には似合わないのだが、それでも、多少は、そんな部類の経験もあって、聞きたいという人も居るようなので、書いちゃおーっと。
まあ、スピリチュアルというより精神世界といった方がぴったりくるけどね。
私自身が、生命とか死とかを意識したのは小学4年生の頃だったと思う。ある日「人は死ぬんだ」という事実に気づいて眠れなくなった事から始まる。
何がきっかけで、そうなったかは分からない。しかし兎に角、寝床に就くとその事が頭の中で回りだすのだ。
「え、人間って死ぬんだよな。痛いよな、苦しいよな。どれくらい苦しいんだろう。」
ということで、布団の中で息を止めてみて、だんだん苦しくなる感覚を実験し、怖くて泣いていた。今考えるとアホみたいだが、当時は、本当に恐怖だったのだ。
その状態が2~3週間くらい続いた様に記憶しているが、子供の時の記憶なので定かではない。もしかすれば2~3日だったのかもしれない。
そのうち、あることに気づいた。
「死を想像し、無闇に死の恐怖に怯える必要は無い。死は誰にでも訪れるが、それはその時でなければ本当に理解は出来ない」
まあ、小学生でこんな風に理路整然と思ったわけではない。
「げー、考えてもわからん」
と思っただけだ。
その体験が初めて命というものを実感し、意識したものだった。
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