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‘フリーランスの作り方’ カテゴリーのアーカイブ

スイッチをオンにしよう!

今、「フリーランスの作り方」というのを書き出して、「こりゃ、自分史じゃん」と思いつつも、「ま、結構ネタもあるし、面白くはなるかな?」って考えてるんですよ。

でまあ、表題のオンって事だけど。

このシリーズの中で一貫して云えるのは、心のスイッチを入れたから起こる様々なことなのね。

正直、大学生の頃までは、オフだった。自分から何かをしようと思ったことはあっても、それは自分の想像力の範囲内での事であり、出来ればリスクを負うこと無く生きていたいと思ってたわけ。

それが、失恋(僕はこの事件をイメージダメージと呼んでいる)によって、それまでの価値観が壊れて、新たな価値観を創造するしかなくなったのね。

そこで、心のスイッチをオンにした。

考えて動くのではなく、動いてから考える方法に変えたんだね。とにもかくにも、まず動く!そうすると世界が変わるんだよね。

出来ないと思っていたことが出来たりする。第一、音楽なんてのも殆どそれまではやっていなかったし、どちらかというと苦手な分野。通知表はいつも2だった。

でも、好きだったのよ。だからやってみようと思った。楽器もろくに弾けないし、歌も下手だし、楽譜も読めない。デモやって見ようと思った。

そして、物語は始っていくのよ。

面白いぜ。

これを読んでいる諸君。動けよ!やれよ!自分から始めろよ!きっと面白い世界が広がるよ!!

フリーランスの作り方003

まず、その当時インディーズという言葉も無かった時代で、メジャーな販路を持たない音楽は自主制作と呼ばれていた。そこで、まずは取り扱ってくれる販売店 に声をかけ、店頭で売ってもらうことにした。熊本ではウッドストック、マツレコなど東京ではFujiyama等、これらに直接持ち込み、店頭においてもら う。

それと同時に、各、音楽媒体にテープを送り、紹介してもらった。記憶にあるのは、「ロッキン・オン」「フールズメイト」等の音楽誌「ペリカン・クラブ」その他情報誌にもバシバシ送った。その甲斐あって結局1000本近くが完売。

そうやって遊んでいたある日ウッドストックのケンさんからこういわれた。

「浅川君、きみ面白いね。いまさ、『とんでもナイト』っていう深夜番組のスポンサーやってるので、それで宣伝してやるよ。一度番組に出てよ。」
「あ、いいすね。出ますよ。」

即答した。

即答したものの、ただ出演するだけじゃ面白くない。何かインパクトのある宣伝方法はないかと考えた。

「んーーーーそうだ。自分でQシート書いていこう!」

Qシートとは、番組内の進行台本である。私は小学校から一貫して大学まで放送部に所属していた。その為進行用の台本書くことも慣れていた。

そして当日。わざとスーツを着込んでフォークギターをぶら下げ、右手に進行台本、左手にカセットテープを握り締め、担当ディレクターに会うことにした。

つづく

フリーランスの作り方002

その理由とは。失恋なのである。

失恋から新しい仕事を始めるというのも変な話だが、実際に世の中どう転ぶかわからないのが面白いところだ。

失恋によってグデグデになった私は、寝込んでいた。体が云う事をきかない。起き上がれない。こ、これでは廃人ではないかと思っていたところで友人が一言助言をくれた。

「あのな、こーゆー時は歌を作るといいんだぜ。」
「なんで?」
「多分な、こんな時は詩が出来るのだ。人間苦しい時に限って才能がない人にも歌が生まれてくるんだよ。」

そこで、何かしていないと死んでしまうと思っていた私は、歌を作り始めたのだ。それまで、ギターを少しばかり弾けただけだったが、音楽は元々好きだった。高校生のときにはフォークソングを少しだけ作った。

だから、音楽を作る事自体は初めてではなかった。

しかし、単に作るだけでは面白くない。そこで私は自主制作でカセットを作る事を思いついた。題名は「Brain Weather Project」として、プロジェクト名も同じにした。直訳すると・・・脳・天気・プロジェクト・・・。馬鹿だ。

友人たちから使っていないシンセサイザーやミキサー卓を借りてきてギターやリズムマシンを購入した。弾いた事のないキーボードは練習しながらカセットテープのオーバーダビングを繰り返し、最初の曲が出来たのが半年後。

そこから8曲すべて作り終えるのに1年かかった。さてカセットを作ったら次は販売だ。いくつかのアイディアがあったので、それを実行に移す事にした。

つづく

フリーランスの作り方001

えと、シリーズ物を書きます。これは私の仕事遍歴です。

実家のカメラ店を継ぐために、なーんにも考えず写真学科のある大学に進んだ私は、在学中から色んなバイトを始めた。ぬいぐるみショー、運送会社、販売員、喫茶店、食堂などである。

さて、色んな仕事を経て自分なりに向き不向きを確認した後で、実家のカメラ店に戻ってきた。ところがである。どうも居心地がよろしくない。実家の仕事というのは結局、親との対峙である。

成人してまでも親と一日中向かい合って仕事するのは骨が折れる。普段仲が悪い訳でもないが、仕事の事になれば必ずぶつかる。これが他人だと、資料を作ってプレゼンして、説得するという方法論で突破口も作れるが、いかんせん、相手は親だ。

言うことを聞くはずがない。

「いやだから!、このままカメラ店という営業形態を継続させるのは難しいって言ってるだろ」
「なに言ってるのよ!ひとつの町に1店舗位は必ず残れるわよ!」

大体、口論となるのは母親だ。

元教師である母は、やはり物言いが高圧的である。それはいうなれば、親という権威を守らねばならないという発想から生まれる昔ながらの考えだ。

そんな中、ある事をきっかけとして副業が始まる。そのきっかけは仕事とまったく関係ないところから生まれた。そのきっかけとは・・・。

つづく