Archive for 3 月, 2007

気功師さんとの話の続き

今日、また気功さんとお会いした。
そこでの処置に関しては、基本的にお話できることはない。ま、色々プライバシーの問題もあるからね。
というか、正直に書けば処置は行われなかった。しかし、その際に友達を連れてきた女性の方の役割が明確になった。その人は、気功師さんと誰かを繋ぐ要石の役割を持つらしい。
その後で、色々気功師さんと話した内容から抜粋しておこう。
「存在イコール振動である」
我々は、素粒子から出来ているわけだが、素粒子の世界というのは、我々知っている通常の物理法則が通用しない世界だ。それぞれの粒子は振動を繰りかえし、固有の波長を持っている。
従って、存在そのものは振動とイコールであり、振動とは「波」である。
つまり物質は振動しないと存在できないのではないか?分子もブラウン運動を繰り返しているし、電子に至っては電子雲として、非常にわけの分からない存在である。
水晶等が特有の力を持つ理由の一つは結晶体であるが故、固有の共振作用が強く、それによるシンクロが我々に影響を及ぼすのではないか?
「現在のプロセスはどこへ向かうのか?」
これについては不明だが、何らかの受け入れ状況が確立しはじめていることは間違いないだろう。それはバランスの崩れた地球規模の自浄作用として起こっているのかも知れない。
ううううう。語っている内容がどんどん高度化してますな。でもまあ、明日の朝までビデオ編集完成させなくちゃいけませんし、洗濯もしないと溜まってるな。あ、外、雨降ってるじゃん。
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そろそろ桜も咲く季節

 
というセリフで始まる熊本の日本酒のテレビコマーシャル見たことありますか?あのCMわたしが声やってます。さっき久しぶりに車のなかのテレビでみました
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気功師さんとの話

今日も偶然夕食を気功師さんと共にした。
しかしまあ、気功師がどうのこうのと書くと、訳の分からない世界に突入してしまうが、我々が認識している世界が世界そのものであるはずは無い。
言うなれば、我々が認識していると思い込んでいる世界自体がいかにあやふやな共同幻想の上に成り立っているのか自覚が必要なんだと思う。
人間の認識力は人間という体に縛られ、存在そのものを俯瞰で眺めることは基本的に不可能に近い。言うなれば、蟻に人間が理解できないであろうと同じように、人間がその上位のシステムを認識することは難しい。
それでもなお、人間はその上位のシステムを理解しようとする。そーゆーのがわかる状態をサーマディーと呼ぶんだっけ?で、それって、理論ではない。理論で推論してもそこには様々な障害が存在し、パラドックスを含んだパラダイム・シフトが起こり続ける。
結局、世の賢者が行うように、内観とそこにおける直感で物事を分析するほうが近道だったりするし、たまには間違って遠回りもするわけだが、この辺が面白いところでもある。
と、話は逸れたが、今日の話は気功師さんの話の続き。
彼自身は、現在IT関連の仕事をしている。言うなれば気功とは正反対のシステムを扱っていると言って良いだろう。そんな仕事をしながら、引き寄せられるがごとくスピリチュアルな世界へ突入している。
今日は、食事中に珈琲の味を変えてくれた。結構はっきり分かる。マイルドになってる。その変化がプラシーボ効果(思い込み)によって起こるのか本当に変化しているのか検証は出来なかったが、彼の話によると以前実験したときは、気を入れるとその液体のクラスター(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%BC)が細分化され味が変わると言っていた。
そーゆー科学実験を依頼されてやったらしい。
で、重要なのは、彼の力がプラシーボだろうとなかろうと、結果として人の体を直したり、場の雰囲気を変えることになるということだ。
私は昔体を壊していた時期があって、病院にいっても一向に良くならず東洋治療で治した経験がある。そのとき思ったのは
「手法は何でも良いので体が良くなればオッケー」
という事だった。結局信じるものは救われるということか?ま、それだけなら、それはそれでいいのだが、どうにも、それだけでは説明できないことが多すぎるなあ。
彼は、つい最近まで、自分の力を誰かと話すことが出来ず、ある意味悩んでいた。普通の人には起こらないいろんな出来事が自分には降りかかってくる。しかしそれを誰にも話すことが出来ないのだ。
去年くらいからやっと話の通じる人たちが現れ、ずいぶん楽になったと言っていたが、果たして去年急に現れたのか?きっとそうではない。ある一定の量的変化によって質的変化がおきる時期に来ているのかも知れない。
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千場さんに会った

夕方から会食で1000Bさんと一緒だった。
1000Bさんはすごい。何がすごいかって存在自体がすごい。兎に角、人を超越している。誰もまねの出来ない経験を積んでいる。仕事の変遷もすごい。
一番最近の仕事は猿回しだ・・・。
たまたま会った猿回しの村崎さんと意気投合。
「五島列島に旅に出るので一緒に行くか?」
といわれて、そのままついて行ったそうだ。舞台でいきなり太鼓叩きの役をやらされ、何百人もの前で、「太鼓名人」と紹介され、一人で適当に芸を披露したりする。無論これまで、太鼓なんて叩いたことはない。
仕舞いには、猿と人参の取り合いになって喧嘩して戻って来たそうだ。
それ以外にも沢山の仕事を経験しているが、残念ながらここには書けそうもない仕事が半数以上だ。もちろんそんな人だから中国や色んな国にも行ってる。
税関の人とも顔なじみだ。ふふふふふ。
いやあ、いつか自伝を書いてもらいたいなぁ。
あ、1000Bさん呼んでポッドキャストで放送しようかな・・。すごいだろうなぁ。
僕が聞いただけでも、カヌーのインストラクター、サバイバルインストラクター、トンボ玉インストラクター、陶器の行商、カメラマン、HipHopショップ の店長、ギタリスト、輸入業者(運び屋?)、兵隊・・・この辺は詳細は書けねぇ・・・サラリーマン以外はありとあらゆる職業を転々としている。
定住は出来ないタイプの為、一時は波野村に高床式の1000B小屋というのを作って、一年ほど狩猟生活を送っていたそうだ。
風が吹けば、ギシギシと揺れ動く小屋は、隙間風がモロに入ってくる。冬ともなれば九州とはいえとても寒い。どのくらい寒いかというと、寝袋から出 している顔が寝息で真っ白く凍ってしまうし、珈琲を飲もうとカップに注いで、2~3回かき混ぜると、ジャリジャリとシャーベットになるそうだ。
試しに室内の気温を測ってみたら-27度だったという。(マジかよう)
ちなみに、銭金から出演依頼の電話があったのだが、丁寧にお断りしたと言っていた。
ほんと、冗談のようなのだが、実際たずねて行った友人も居て、友人によると
「今日は1000Bさんは、ウサギ捕ろうとしたら野生化した猫に横取りされて怒ってたよ」
やはり、食物を横取りされるのは相当につらいらしい。
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呼称とはなんだ?

今日は専門学校の卒業式。卒業式はまあ、卒業式なわけで無難に終ったわけだが、そのあと学生達が企画した卒業パーティーというか飲み会に参加して来た。
普段学校では、あまりプライベートな話もしなかったんだが、去年あたりから「ま、いいか」という感じで、多少昔のバンドのことやら、スピリチュアルな話題を話して見た。
その性か、結構学生の皆さんとも仲良くなれたのだが、本日は卒業後ということもあり、普段の馬鹿話を全開でやっていたところ、「笑いすぎて頬が痛いので、止めて下さい」と、学生から窘められた。
「俺、先生と呼ばれるの本当は嫌いなんだよね」と、言ったところ「じゃあ、浅川さんでいいですよね。なんだ、もっと早く行ってくださいよ。だったらこっちだって気楽に話せたのに、就学中は話す機会なかったっすよね」等と言われた。
そーなのである。
未だに「先生」とか言われるのは苦手だ。
ま、言うほうは単に記号としての「先生」であり、そこに意味はない。それは分かっているんだが、それにしてもまだむずがゆい。
「先生」とはもっと偉い人のことを言うような気がしてならない訳だ。よし、来期は生徒に「先生」と呼ぶことを禁止してみようかな。「浅川さん」ないし「浅川君」あたりでどうであろう?たまには「あさかわ」と呼んでもいいし、「あさ!」でもいいかも。
名前がだめなら「班長」とか「隊長」または「キャップ」ってのもかっこいいな。む、無理ですか?
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この人は強いとか弱いとか

まあ、他人は何とでも言うわけですが、何に対して強いのか何に対して弱いのか人それぞれですねぇ。
でまあ、「強し」と「毅」というのはちょっと違う訳ですね。「強し」という言葉の裏には、脆さを含んでいまして、どちらかというと弱さの裏返しだったりする場合があるように思います。
この本質的に弱さを内包している人を仮に強君と呼びましょう。それに対して、本質的に強さを持っている人を毅君と呼びます。
たとえば、何かの問題が起きたとき、その違いは明確になります。 強君の場合、問題の原因を他者に求めます。「あいつのせいで、おれはこんな被害を受けたんだ。あいつが悪い。」 これはいわゆる自己保身からくる攻撃性ですね。
それに対して毅君は、問題が起きても感情的にはなりません。冷静に物事を判断して、解決策を見つけます。「この問題起きたのは、自分にも問題があるからだ」と考え、どんなに不条理な問題でも自分の糧にします。

強君は、他人の目を気にします。自分は人からどう見られているのかどんな服を着るのかいつも気になります。
毅君は、他人にどう見られるか気にしません。ファッションも他人が不快に思わない程度で構いません。
強君は、話題の中心に居ないと気がすみません。
毅君は、みなの会話が盛り上がるように気を配ります。 強君は、気分にムラがあります。
毅君は、安定しています。

とまあ、いくらでも書けますが、出来れば私も毅君になりたいですわ。
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