熊本市 DELTA WORKS のメンバーがお届けするCMS制作日記と日常の変なこと
7 3月
とび職の人って、やはり落下事故など危険と隣り合わせの仕事で、大変だなーと思うのですが、ある日両腕骨折で入院してきた人が居た。
まだ20代だと思うんですが、なれない入院生活で不自由そう。 何が不自由って、両手ともギブスさせられてつられた状態で日常を送るわけだから、一人じゃなにもできない。マイケルジャクソンの一人スリラー状態ですな。
そんなある日のことだった。 看護婦さんと本人との会話
「あなたお通じはあるの?」
「いや、実はないです」
「ないですって?いつから?」
「ええと、入院してからですね」
「ええっつ、全然ないの?」
「はい、まずいですかね?」
「だめじゃないの。そーゆーことはちゃんと言ってもらわないと」
「はあ」
「仕方ないわね。いまから、浣腸しましょう」
「えっ今からですか?い、嫌ですよ」
「だめよ、今からよ」
そういうと看護婦さん・・・この看護婦さんいわゆるこの病棟のドンみたいな人・・・・ナースステーションにとってかえして、浣腸器を持ってきた。
「えええ、いいですよ。自分で踏ん張りますから」
「でも1週間出てないんでしょう」
「いやだから、出します、出します。せめて自分でやらせてください」
”自分でやる”とは自分で浣腸するという意味なのだが、良く考えれば両手が動かないのに出来るはずがない。どうやら本人も相当動揺しているようだ。勿論ここは10人の大部屋である。動揺しないほうがおかしい。その様な本人の申し出は、ドンである看護婦の耳に届くはずもない。
「はーい。つべこべ言ってないでおとなしくしなさい」
「いや、今は勘弁してください」
「だめだめ。私は午後から休みなの」
そう言いながら、看護婦はパジャマを脱がし、さっさと準備して浣腸が始まった。
「あ、ああ、あああああああああ」
「何うめいてるのよ」
「いや、あ、うううっあ、ああああああああああ!」
「さっさと出しなさい」
「ええ、で、出ません、あ、ででで出ます。あ、ああ、出ます出ますで増すddさ;だいh:@fjej:じ9」
(後半は言葉にならなかったようだ) 看護婦はさっさと仕事を済ませ、去っていった。残された彼はすでに放心状態・・・・可愛そうだ。 勿論、看護婦さんもお仕事、本人の為にも糞詰まりはよくない。ただ、一言言わせていただきたいことがある。
昼飯の直前に大部屋で浣腸するのはやめてくれぇー
6 3月
先日、右の脳に障害を負ってしまった患者さんの話をしたが、或る日、左脳に障害を負った吉本さん(仮名)が入院してきた。左脳には、言語野があるので、右脳の障害とは違った症状が現れる。
実際には、この両方の患者さんが同じ時期に入院していた。私のベットの左側には右脳、正面には左脳という配置だ・・・。
吉本さんは当然言語つまり言葉が不自由。毎日、院長先生が回診の際に、質問をする。
「吉本さん。これ、なんですか?」
院長は左手にりんごを持っている。しばらく吉本さんは考えて、こう、答えた。
「ラジオ・・・」
「あー、これラジオですか?・・・ラジオじゃないですよ。もう一度聞きます。これなんですか?」
「えー・・・なずび・・・・」
「おしい!なすびじゃないですよ。食べるものですね。」
「あ・・・・・・・っわかりません。」
このような会話が、退院するまで、毎朝続いた。その横で左の患者さんからは
「隆弘、お前いつ来たんだ?」
「えっ?いや、僕は”隆弘”じゃありませんよ。隣のベットにいる浅川です」
「お前、隆弘じゃないのか?」
「はい、違います」
「じゃあ、何でここに居るんだ?」
という、攻撃が続くのだ。ちょっとこちらのほうが混乱してくる日常であった。
5 3月
さて、この入院生活はほぼ4ヶ月に渡るのだが、それだけ長くなると色んなことに遭遇する。というか、勉強になる色んな事が起きる。
例えば、人間の脳は右と左で、その処理機能が違うという事を体験できたりする。
或る日60歳代のオジサンが運び込まれてきた。その人は脳溢血で倒れたらしい。看護婦に聞いてみると、右脳に障害が起きていて、体も思うように動かない。入院直後は眠り続けていたが、徐々に元気を取り戻し、私にも話しかけてくるようになった。ただ、少し問題があった。おじさんは私に向かって
「隆弘、お前いつ来たんだ?」
「えっ?いや、僕は”隆弘”じゃありませんよ。隣のベットにいる浅川です」
「お前、隆弘じゃないのか?」
「はい、違います」
「じゃあ、何でここに居るんだ?」
混乱している。そーなのだ。右脳というのは、直観力とか、総合的な判断力などを司っているので、状況は認識できるが、正常な判断が出来ない。この、オジサンの混乱は、転院するまで続いた。
「隆弘、お茶飲ませてくれ」
「あ、あの僕は”隆弘”じゃないですけど、お茶ですね。注いであげますね。」
「お前、隆弘じゃないのか?」
「はい、違います」
「じゃあ、何でここに居るんだ?」
このような会話が延々と続いたりする。或る日、またオジサンに話しかけられた
「隆弘、小便がしたい」
「あ、あの僕は”隆弘”じゃないですけど、小便ですね。今看護婦呼びますね。」
「お前、隆弘じゃないのか?」
「はい、違います」
「じゃあ、何でここに居るんだ?」
まあ、これで、通常は看護婦が来て処置してくれるわけなのだが、その時は違った。いつまで経っても看護婦が来ない。どうやらちょうど交代時間でたまたまナースステーションが空だったようだ・・・・・・・・・・って、許されることではないな。
「隆弘、小便がしたい」
「あ、あの僕は”隆弘”じゃないですけど、小便ですね。看護婦読んだのですが来ないですね。」
「お前、隆弘じゃないのか?」
「はい、違います・・・いや、僕隆弘です。」
なぜ?僕が「自分は隆弘だ」と答えたかって?それは、このまま隣のベットでお漏らしをされても困るなと思ったからだ。そこで私は、不自由な足をベットから下ろして、オジサンの尿瓶を手に持ち、オジサンのパンツを下ろした。
その時、触れたオジサンのフニャチンの感触を今でも鮮明に思い出すことが出来る。後にも先にも他人のチンチンを握って尿瓶におしっこさせたのは、このときだけである。いやあ、介護とかやってる方々は尊敬に値しますよ。
4 3月
手術を受けてからの数日は痛みのため、迷わず痛み止めを飲んだ私だったが、救急病院であるその病院の大部屋では様々ことが起きた。
或る日の朝、メガネの禿げおじさんが運び込まれてきた。どうやら酒飲み過ぎてぶっ倒れたらしい。夕方には普通に戻ってなにやら話をしていたが、どうも話の要領を得ない。何を言っているのか良く分らないという状態だ。
「こいつはヤバイ」
とまあ、その時は感じたが、感じただけでは何もいえないので、消灯時間になりベットに入った。うつらうつらしていたその時だ。そのおじさんのベットのほうから声が聞こえた。
「後ろにぃ!そこか?!そこだな!」
びっくりして、おじさんのほうを向くと、おじさんがベットの上に立ち上がり何かを掴んだのが見えた。「え?、なんじゃ?」と思った瞬間。手に持った何か(湯のみだと後で分った)を突然投げつけてきた!おじさんは続けて、
「そこだな。ほらそこだ。その陰に!そこに居るんですよ!!」
あ、幻覚だ・・・・おじさんは幻覚を見ている。そーなのだ。おじさんは所謂、アルコール依存症。平たく言えばアル中・・・あわててナースコールをした。やってきた看護婦に対して、
「すみません。女優さん。女優さんが居るとも知らず、いや、あそこの陰に居たんですよ。黒い影が・・・・」
「何も居ませんよ。何言ってるの?静かにしなさい!」
その場を収めようとする看護婦の言うことをおじさんは全く聞こうともしない。
「だから、危ないんですよ。このままじゃ皆喰われますよ!」
私は、「な、何に食われるんだぁああああ!」と思ったが、看護婦さんはその事を聞いてはくれなかったし、やがて、しゃべり続けるおじさんの家族という人たちが駆けつけ、おじさんを引き取っていった。アル中にはなりたくねーなーと、思いながら私は寝る事にした。
3 3月
さて、骨折したのは右足のスネの部分だったが、所謂複雑骨折。手術を受ける事になった。
この手術というのがしゃれてる。
通常はボルトやプレートを入れて固定するわけだが、そこでは最新の手術を行うという話になった。 そのやり方であるが、プレートやボルトは使用しない。使用せずどうやって固定するかだ。 それは、足の3箇所、つまりひざの下と、足首の上、骨折したちょっと上、この三箇所に鋼線を通す。その鋼線をギブスと共に固定して骨が繋がるのを待つというやり方だ。
この治療方法を説明してくれたのは若い外科医。「最新の治療法」という台詞にはなんとなく惹かれる響きもあり、面白そうなので快く了承した。
しかし、その外科医、何だかとても若い。若さというものにはハツラツとした良さもあるが、治療という基本スタンスに立ち返ってみると一抹の不安もある。しかしながら「まあ、大丈夫だろう」と、たかをくくっていたのが、後半の悲劇というか、これ以降私を10年近く苦しめる、ある結果へと導く事になるのだ。
手術を受けたあとで聞いた話であるが、この病院は救急病院であるにも関わらず、専門の外科医というのがいない。で、私を担当したのは九州大学の医学部のインターンであった。
手術の日、両親に見送られながら、手術室に運び込まれた私は、どんな、手術なのか不安を抱きつつも、割と悠然と構えていた。 「なああに、骨折の手術くらいなんて事ないだろう。内臓と違って、腹割られるわけじゃないしな」 それがその時の想いだった。
軽い全身麻酔のあと局部麻酔がかけられ手術が始まった。勿論、手術中は意識もはっきりしている。さて、骨の3箇所に穴を開けるだけ。電動ドリルで開けるんだったら一瞬だな。
その時、激痛が走った。
「どがーーーーー。痛いです。」
「あ、ごめんごめん。局部麻酔の利きが悪かった悪かったみたいね。看護婦、もう少し麻酔打って」
さらに局部に麻酔が打たれた。先生が
「じゃあ、行くよ」
「はい、おりゃー、まだ痛いです」
「だいじょぶだいじょぶ。すぐ終わるから」
激痛はまったく収まらない。それなのに、骨を削る感じがどんどん続く。ゴリゴリゴリゴリ・・ゴリゴリゴリ。
「おぎゃあ、どりゃー、おぎいいいいいいいいいぃ」
痛い。痛いし、なんか変だ。電動ドリルの音がしない・・・・・静か過ぎる。「ゴリゴリ」しか感じられない。そこで足元を見て状況が理解できた。
手回しドリルだ! 手回しドリルを持った医者が私の足を看護婦に押さえつけさせて、馬乗りになっている。そーして彼は言った。
「君は若いから骨が、か、硬いねーぇ!!」
「どひゃあーーーーー。うりゃああああああああ。」
何だか急に恐ろしくなってきた。恐ろしいのはいいとして、とにかく痛い。でも、痛いとはいわなかかった。やはり痛みを忘れるには叫ぶしかない!そう思った私は叫び続けた。
「あぎゃーーーー、ぐううううううううっく。いだだだだだだだだ。」
そのうち普通に叫ぶのに飽きてきた。
「どりゃーーーー、ど、どどどど、れみふぁそらしどー!いでででででで、電気あんまー!!」
笑っている。看護婦と医者が笑っている。私は心の中でこう思った。 「うけた。ラッキー!」 こうして、数時間をかけて3つの穴が開き、それぞれに鋼線が差し込まれ手術は完了したのであった。とにかく、疲れた。なぜ疲れたか?って。勿論叫びつかれた手術であった。
2 3月
事故の翌日、(だったか2~3日過ぎてだったか忘れた)加害者である男性(大学生)が母親を連れて、挨拶に来た。
たまたま両親も居たので、5人での話し合いが始まった。相手の母親がこう切り出した。
「うちの息子は、アルバイトしながら自分で学費をかせいで大学に行ってる苦学生なんです。それで今回の事故は友人から借りた車で起こしてしまった為、車の修理代を払わないといけないのですが、その分は補償してくれますか?」
唖然とした・・・・・・・。
唖然として、怒る気にもならなかった。しかし当然のことながら、それを聞いた両親がブチきれて、口論が始まった。私の母が
「ちょっと待ってください。お金の話は後ではないんですか?普通ならまず怪我している息子に詫びを入れるのが筋でしょう」
「しかし、私の息子もこれで大学にいけなくなるかも知れないんですよ!」
「ですから、そーゆー問題ではないでしょう」
しばらく口論を聞いていた私は、ベットから身を起こして
「まあまあ、双方も言い分があると思いますが、ここは病室です。他の患者さんの迷惑になります。怪我しているのは私で、まだ手術受けてませんので、これから足のほうもどうなるか分らない状態です。ちょっと落ち着いてから話したほうが良いですよ」
と、いいながら、”あれ?なんで俺が両方をなだめているのかな・・・”と疑問に思ったのであった。流石に怪我人から諭された加害者は、「それでは、また来ます」と云って帰っていった。帰った後、確かに相手の言うことはおかしいなあ?などと思い、相手の言っていることを思い出していたら、あまりの理不尽さに笑いがこみ上げてきた。
私は、この3年生の終わりに起こした事故で、出席が足りず、後に2単位を残して大学を退学するのであるが、別に加害者を恨むような気持ちにもならなかった。逆に松葉杖をついて学校に通うのが面白かった。だって、事故じゃん。悪意があっておこしたことじゃないもんね。
まあ、どういう相手なのかは分ったので、これは当人同士の話では収拾が付かないだろうということで両親と相談してこれ以降の話は、保険屋さんにお願いする事になった。(後で分ったが、相手は任意保険に加入していなかったようで、その辺もきつかったんだろうね)勿論補償額は9対1という条件で話が決まった。だってぇ、こちらはちょっと速度オーバーしていたくらいで、過失がなかったからね。
また来ますって、言った割には、退院するまでの3ヶ月間(複雑骨折で時間がかかった)結局母親が来ることはなく、1ヶ月くらいして、一度だけ当事者がやってきた。
「すみませんでした。私も大学をやめることにしました」
ああああ、まだわかっていねー。「すみませんでした」は良しとしよう。(事故の後1ヶ月経っていたとしてもね)しかし、「私も大学やめることにしました」ちゅうのは余計だね。「おらあ、そんなこと知ったこっちゃねえよ。それとも大学辞めたのは俺のせいなのか?そう言いたいのか?いや、無意識にそう思っているだろう。ああ、わかった。自覚がないんだ。自分が起こした事に対して分っていないんだ。なんちゅー鈍感なやつだー」と言いたくなる所をぐっと我慢して「そうですかーーー」と答えてしまった自分に逆にちょっと落ち込んだりして。
そーゆー時にはちゃんと言うべきなんだろうねー。ちゃんと指摘するべきなんだろうねぇ。失敗した。
1 3月
バイクで事故った私は、初めて担架というものに乗せられ、救急車の中に運び込まれた。しかも、骨折した右足を少しでも動かすと、激痛が走る。
で、その激痛を和らげるため私がとった行動とは・・・。
「とにかくしゃべる」で、あった。 救急隊員相手に
「いやすみません。これ折れてますか?」
「あー折れてるね」
「やっぱりそうですよね。折れてますよね。いやあ、初めて骨折したんですけど痛いですね。」
「そりゃ痛いよ。骨折だもの」
「そうですよね、骨折ですよね。骨折って痛いに決まっていますよね」
べらべらしゃべる私の発言は止まらない。救急病院に担ぎ込まれる際も、迎えに出てきた看護婦さんに向かって、
「あ、どうも、骨折しちゃいました。お世話になりマース」
という感じ。 レントゲンやら応急処置やら何かと受ける最中もずっとしゃべりっぱなし。
「ここ、香椎のどの辺ですか。うがっ。あー香椎宮のそばですね。うりゃああ。ここって、救急病院だから看護婦さんも大変ですよね。24時間体制なんでしょう?どぎゃああ。僕ってあんまり病院とか来ないんですけど、やっぱり、あれですね。病院のお世話にはならずに済めば成らないほうがいいですよね。あじょおおお。・・・・」(赤字は叫び声)
そうして、やっと一日目の入所儀式が終了。晴れて入院患者の一員になったのだった。その日の夜の看護婦との会話。
「はーいこれ、痛み止めです。どうしても我慢できなかったら飲んでくださいね。」
「わかりました」
確かに痛い。じっとしても痛みが右足から駆け上ってくる。勿論眠ることなんて出来ない。
看護婦さんが「どーしても我慢できない時飲め」といった薬は手元にあるが、我慢できなくもない。
こーゆー時に我慢するコツというのは 「痛いのが当たり前、痛くて当然。痛い状態が普通」というように自己暗示をかけるのだ。そーすると、多少苦しさ遠ざかる。そうやって、うつらうつらしながらも朝を迎えた。
朝の看護婦さん
「あら?薬飲んでないの?」
「いや、どーしても我慢できない時飲めって言われたから、何とか我慢しようと思って・・・」
「へー。初めてだわ。骨折して痛み止め飲まなかった人」
「へーっ」って ・・・・「へーっ」て云うなぁ だったら、はじめから「痛み止めです。飲んでくださいね」って云え! こうして壮絶な入院生活が始まった。
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