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親のカルマ子のカルマ

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親子という関係を続けていると、たまに思うことがある。

自分は子供を自分の分身としてみているのではないのか?

これは、どーゆーことかというと、元来子供は自分の子供であっても一人の独立した存在であり、幼い時に庇護は受けるが、やがて親元から巣立ち自立した存在にならなくてはいけない。しかし、一度「親」というスタンスで我が子を見てしまうと、そのスタンスから抜け出すのが結構難しい。

どこまで、庇護するべきか?どこから自己責任は問うのか?

この境目を間違えると親にとっても子供にとっても不幸が訪れる結果となる。 往々にして「親」は子供に「こうあって欲しい」とか「こうあるべきだ」と教える訳だがその判断基準を自分の中にきっちり持っておかないと子供は混乱する。しかも、その判断基準が、世間体とか常識なんて言葉で表現できるものであれば、子供はすぐにその嘘を見抜くだろう。

従って、自分の中における価値観、または物事へのスタンスを認識しておかないといけない。

そうすると、逆に極端なことを子供に言ったとしても子供は不安がらない。もちろん、それを押し付けては駄目だ。「私の立場としてはこう思う」とか「私ならこうする」てな具合ならいいのだ。

道は示すが、決断は本人にさせる。これが基本だ

たまには間違った判断を下すだろう。しかし、それでいいのだ。大人になって間違うよりましだ。

例えば女の子がフリフリのワンピースを買いたいと言うだろう。そのとき、「あなたには似合わないから別のを買います」といってはいけない。似合わないとわかっていても買うという事が決まっているのなら似合わないワンピースを買うべきだ。実際着てみて子供はその「似合わなさ」に気づくかもしれない。そーすればしめたものだ。気づかないなら気づかないでそれもまたよし。

そーこーしているうちに、自分の事は自分で決めるという、当たり前のことができるようになるのだ。

この「あなたには似合わないから別のを買います」というのが実は親のカルマ(業)なのだ。

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