気功師さんの話(ライトネス・アンド・ダークネス)感想

一応、週末に起きたことを書いたんですが、主観的な部分が欠落していますので、気功師さんから「悪魔」と呼ばれるのを覚悟して自分の感想を書いておきます。

  1. 力を持つということはリスクも一緒に背負い込むことを再確認しました。
    例えば、人に見えないものや感じられないものを感じる力というのは、ややもすると現実から遊離しているが故に本人自身も現実を見失ってしまう可能性が高いということですね。 状況は、ゆっくり進行するのですが、ある臨界点を超えると一気に加速します。 その臨界点とは、物事の価値基準を自分ではなく他者や他のものに預けたときに起こりやすいと思います。つまり、自分で判断したのではなく、「神がそういった」とか「ここにそう書いてある」などの台詞が出てくるとヤバイです。
     
  2. 道を説く場合、善悪における2元論は分かりやすいのだが、危険性も伴う。
    物事を判断する場合、良き事、悪いことというカテゴリーで判断出来ることは実はあまり多くは無いと思います。良いこと悪いことの価値基準は、その観測者が人間であるという前提に決められている場合が多く、視点を変えると簡単にその事実が逆転するのだという認識が必要です。 例えば、毒虫を殺虫剤で殺すことは人間にとって良いことですが、毒虫にとっては迷惑はなはだしいです。彼らにも生きる権利はあります。
     
  3. 命の大小にその優劣は存在しない。
    どうしても、分からないんですが、我々人間だけが神の子であるはずはない様な気がするんです。生きとし生けるもの全てが同じ生命の連鎖の中で存在する同等の価値を持ったものではないかと思いました。
     
  4. なーんでこの町に?
    これは話の中での疑問の一つですが、こーんなちーっぽけな町を悪魔が占拠しようとしているのか分かりません。しかも、そのまちにキリスト十二使徒の生まれ変わりが沢山居るというのも理解できません。その根拠がわからないからです。
     
  5. 神と悪魔という究極的な命題を持った人には何を伝えようとしても無意味だ。
    正直これには参りました。もし、私が本音をぶつけたとしても気功師さんは、聞く耳持たないでしょう。多分、私は彼の中で「悪魔に憑依されたのだ」という結論に帰着します。 そうなると、彼とコミュニケーションをとるのは非常に難しいわけです。私自身の姿勢としては、コミュニケーション自体を否定するつもりはありません。しかし、まともに私の意見を聞いてくれるか自信はないですね。
     
  6. どんなに精神性の高い物を得たとしても、現実を生きることを放棄してはだめだ。
    以前、ゆみさんからチベットのお坊さんに

    「どうやって修行すればいいんでしょう?」

    とたずねた青年の話を聞きました。
    そこで、お坊さんが答えた内容がイカしています。

    「あ、修行したいんだったら東京にもどったら?新宿や歌舞伎町で普通に生活できたほうが、ずっとすごいよ。寺は修行するために色々用意してあるから楽だよね。それに比べたら都会で暮らすほうが厳しいよ」

    その通りだと思います。いわば全てのものはすでに用意されているのだということでもありますね。なんとポジティブで深い言葉でしょう?(字面だけ読むとちょっと間抜けな答えに見えるけどさ)


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