気功師さんとの話

今日も偶然夕食を気功師さんと共にした。

しかしまあ、気功師がどうのこうのと書くと、訳の分からない世界に突入してしまうが、我々が認識している世界が世界そのものであるはずは無い。

言うなれば、我々が認識していると思い込んでいる世界自体がいかにあやふやな共同幻想の上に成り立っているのか自覚が必要なんだと思う。

人間の認識力は人間という体に縛られ、存在そのものを俯瞰で眺めることは基本的に不可能に近い。言うなれば、蟻に人間が理解できないであろうと同じように、人間がその上位のシステムを認識することは難しい。

それでもなお、人間はその上位のシステムを理解しようとする。そーゆーのがわかる状態をサーマディーと呼ぶんだっけ?で、それって、理論ではない。理論で推論してもそこには様々な障害が存在し、パラドックスを含んだパラダイム・シフトが起こり続ける。

結局、世の賢者が行うように、内観とそこにおける直感で物事を分析するほうが近道だったりするし、たまには間違って遠回りもするわけだが、この辺が面白いところでもある。

と、話は逸れたが、今日の話は気功師さんの話の続き。

彼自身は、現在IT関連の仕事をしている。言うなれば気功とは正反対のシステムを扱っていると言って良いだろう。そんな仕事をしながら、引き寄せられるがごとくスピリチュアルな世界へ突入している。

今日は、食事中に珈琲の味を変えてくれた。結構はっきり分かる。マイルドになってる。その変化がプラシーボ効果(思い込み)によって起こるのか本当に変化しているのか検証は出来なかったが、彼の話によると以前実験したときは、気を入れるとその液体のクラスター(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%BC)が細分化され味が変わると言っていた。

そーゆー科学実験を依頼されてやったらしい。

で、重要なのは、彼の力がプラシーボだろうとなかろうと、結果として人の体を直したり、場の雰囲気を変えることになるということだ。

私は昔体を壊していた時期があって、病院にいっても一向に良くならず東洋治療で治した経験がある。そのとき思ったのは

「手法は何でも良いので体が良くなればオッケー」

という事だった。結局信じるものは救われるということか?ま、それだけなら、それはそれでいいのだが、どうにも、それだけでは説明できないことが多すぎるなあ。

彼は、つい最近まで、自分の力を誰かと話すことが出来ず、ある意味悩んでいた。普通の人には起こらないいろんな出来事が自分には降りかかってくる。しかしそれを誰にも話すことが出来ないのだ。

去年くらいからやっと話の通じる人たちが現れ、ずいぶん楽になったと言っていたが、果たして去年急に現れたのか?きっとそうではない。ある一定の量的変化によって質的変化がおきる時期に来ているのかも知れない。


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